人 権 侵 犯 救 済 申 告 書
福岡地方法務局 北九州支局 御中
2007年(平成19年)8月24日
被申告人
勤務先:福岡県北九州市小倉北区大手町1番1号 北九州市小倉北福祉事務所
氏 名:菊本誓(上記福祉事務所長)
申 告 の 趣 旨
被申告人が、北九州市小倉北区明和町所在の自己所有の家屋に居住して生活保護を利用していた被害者(当時51歳・男性)に対し、厳しい就労指導を繰り返したうえで、生活保護を廃止した後の被害者の収入の目途等について何ら調査確認をしないまま、生活保護の辞退を勧め、平成19年4月2日、被害者をして保護辞退届を書かざるを得ないと誤信させたうえで、「自立しますので平成19年4月10日を持って生活保護を辞退します。」と記載された保護辞退届を作成させて交付させ、被害者に対する生活保護を同月10日付で廃止した行為は、被害者の保護受給権、ひいては生存権を侵害する重大な人権侵害行為である。
そこで、
1 被申告人に対し、被害者遺族に対し真摯に謝罪をし、二度と同様の人権侵害行為をしないよう厳しく「勧告」するとともに、
2 北九州市に対し、同種被害の再発防止のため、
①「生活に困ったら生活保護を利用する『権利』があります。申請があれば福祉事務所は14日以内に判断をしなければなりません」という趣旨を、自治体広報誌の配布、あらゆる公的施設におけるポスターの貼付やしおりの備え置きなど、考え得るすべての方法を尽くして広報すること
② 北九州市のあらゆる公的施設において、誰もが手に取れる場所に生活保護申請書を備え置くこと
③ 行政機関の生活保護制度に関する広報義務・窓口を訪れた者に対する正確、適切な情報提供(教示)義務・助言義務の明定、苦情処理のための第三者機関(福祉オンブズマン)の設置などを内容とする「生存権保障条例(仮称)」の制定をすること
を「要請」していただきたい。
申 告 の 理 由
第1 本件の事実経過
1 被申告人が被害者に対し生活保護開始決定を行うに至った経緯
(1)被害者は、平成18年10月ころまでタクシー運転手として稼働していたが、肝炎、糖尿病、高血圧のため就労できなくなり、退職して生活に困窮するようになった。
(2)被害者は、同年12月7日、被申告人に対して生活保護の開始申請を行った。被申告人は、同月26日、被害者を要保護状態にあると認め、生活保護を開始するとの決定を行った。上記申請後、開始前に被申告人が被害者に対してなした検診命令の診断結果は、糖尿病・高血圧については「軽労働可」とのことであった。そこで、被申告人は、開始当初から、通院しながら軽作業の就労開始に向けた就労指導を行っていくとの処遇方針を立てた。なお、被害者の自宅は損壊が著しく、ガス・水道は、生活保護開始時、停止されていた。
2 被申告人が被害者に対し保護支給中に行った処遇について
(1)平成19年1月16日、被害者の担当ケースワーカーは、被害者の自宅を訪れ、被害者に対し、嘱託医協議の結果「就労可」となったと説明して、仕事を見つけて自立するよう指導した。同月18日、担当ケースワーカーは、被害者に対し、北九州市小倉北福祉事務所(以下、単に「福祉事務所」という。)において、ハローワーク等で求職活動するよう指導し、求職活動状況届書を提出するよう指導した。
(2)同年2月23日、担当ケースワーカーは、福祉事務所の嘱託医に対して被害者の病状調査を行った。そのうえで、担当ケースワーカーは同日、被害者の自宅を訪問し、被害者に対し、病状調査結果が「普通就労可」であったと告げ、「より一層求職活動に励むように」と指導した。また、担当ケースワーカーが被害者に対して今までの求職活動の状況を確認したところ、同年2月に2度ほどハローワークに行っていたが、面接に入っていない状況であった。そこで、担当ケースワーカーは、被害者に対し、面接にまで行くよう強く指導した。また、熱心な求職活動を行わなければ文書指示を行い、保護の停廃止もありうる旨を説明した。なお、上記「普通就労可」との診断については、被害者の死後、担当医師が、北九州市に対して、そのような診断を行った事実はなく、普通の就労ができる状態ではなかった、と抗議を行っている。
(3)同年3月19日、担当ケースワーカーは被害者宅を訪れたが、被害者は不在であったため、不在連絡票を投函した。また、担当ケースワーカーは、同月20日、22日及び23日に、被害者に架電したが、被害者は電話に出なかった。さらに、担当ケースワーカーは、同月23日、被害者宅を訪れたが、被害者が不在だったため、不在連絡票を投函した。このような経緯を経て、担当ケースワーカーは、同日、被害者の所在が不明だとして、被害者への保護費の支給方法を、口座振込から窓口払へ変更した。
(4)同月26日、担当ケースワーカーが被害者の携帯電話に架電したところ、被害者が電話に出て、「人に会いたくないので電話に出なかった」と発言した。そこで、担当ケースワーカーは、被害者に対し、精神科の受診を勧めたが、被害者はこれを断った。被害者の死後、発見された被害者の日記によれば、被害者は、同年2月ころから、「亡父や亡弟のところへ行きたい」旨や、「人間てなかなか死ねないものだ」「自分でわが命を絶つとは思わなかったです。52歳2ヶ月で」などの記載を行っていた。
(5)同月29日、担当ケースワーカーは、福祉事務所において、同所に呼び出した被害者に対し、2月から通院していないので通院するよう指導するとともに、病状調査の結果「普通就労可」との判断がされているのだから熱心に求職活動を行うようにと指導した。これに先立ち、被害者のケースは「19年度自立重点ケース」とされ、上記指導前日の28日付の個別協議票には「通院しながら、適職への就労へ向け求職活動を行わせる。」「法の趣旨を理解させ、早期自立を促す。」「室内の衛生保持指導を行う。」などと記載されたうえ、自立見込についても「・6ケ月以内 ・1年以内 ・3年以内 ・3年以上 ・無し」の項目のうち「・6か月以内」に丸印が付された。そして、この個別協議票は、同月30日付で陣内係長、常藤課長の決裁を経た。
3 被申告人が被害者に対し生活保護を辞退させ、生活保護を廃止した経緯について
(1)同年4月2日、被害者が保護費受給のために福祉事務所を訪れた際、担当ケースワーカーは、被害者に対し、早期就職に向けて就労指導を行った。すると、被害者は、「自立して頑張ってみます。」と発言した。そこで、担当ケースワーカーは、被害者に「小倉北区明和町某番某号 氏名 印 自立しますので平成19年4月10日を持って生活保護を辞退します。」という文面の保護辞退届を書かせ、提出させた。しかし、このとき、被害者は現実に仕事に就いておらず、就職が内定していたわけでもなかった。また、担当ケースワーカーは被害者の自立の目処について何ら確認していなかった。
(2)同月10日、担当ケースワーカーは、同日付で、保護辞退を理由に生活保護の廃止決定を行ってよいかとの決定伺いを起案した。同月12日、被申告人は、これを認める決裁を行った。また、被申告人は、同月11日以後同月30日までの保護費の日割り額は、生活保護法80条に基づき、返還免除とした。このとき、被害者の自宅は相変わらず損壊が著しい状態で、水道・ガスは停止していた。
4 保護辞退後の被害者の状況について
(1)被害者は、同月5日、日記に「身体がきつい、苦しい、だるい。どうにかして」と記載した。また、同日以降5月25日までの間、日記に「せっかく頑張ろうと思っていた矢先、切りやがった。生活困窮者ははよ死ねってことか」と記載した。さらに、同年5月25日には「小倉北のエセ福祉の職員ども これで満足か。貴様たちは人を信じる事を知っているのか。3月家で聞いた言葉は忘れんど。市民のために仕事せんか。法律はかざりか。書かされ印まで押させ 自立指どうしたんか」と記載した。これらの記載から、被害者によって作成されたとされる保護辞退届は、決して被害者が任意かつ真意に基づいて記載したものではなく、被害者が福祉事務所の担当ケースワーカーから「自立指導」の名の下に働きかけを受けて書かされたものであることは明らかである。
(2)同年5月終わりか6月初めころ、近所の住民は、見るからに頬がこけ、顔が土色になり、顔全体に高齢者にできるようなしみが出た被害者を目撃した。被害者は、同年5月25日、「午前2時 腹減った。オニギリ腹一杯食いたい。体重も68キロから54キロまで減った。身体の動きが鈍い。何もかもなくなりました。全部自分の責任です。だけど汚い人間多かったナ」、同年5月26日、「午前3時 人間食ってなくてももう10日生きてます。米食いたい。オニギリ食いたい」、6月5日「午前3時 ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食ってない」と日記にそれぞれ記載した。これらの目撃情報や日記の記載から、遅くとも同年6月5日までに、被害者が極度の困窮状態に陥り、衰弱して、自力で行動することが不可能となっていたことは明らかである。
5 被害者の遺体発見の経緯
同年7月10日、被害者の中学時代からの友人が約8ヶ月ぶりに男性を訪ねた。友人は、被害者宅に鍵がかかり、内張りしてある状態で、異臭がしていたことから異変に気づいた。この友人から異変を知らされた近所の住民が福祉事務所に連絡し、福祉事務所が小倉北警察署に通報した。知らせを受けた警察署員が被害者の自宅に立ち入ったところ、一部がミイラ化した被害者の遺体が発見された。このとき、被害者の自宅は屋根が大きく破れ、壁や窓の一部が外れており、吹きさらしで、およそ人が住んでいたようには見えない状態であった。
6 被害者の遺体発見後における北九州市の反応
同年7月11日、三崎利彦北九州市保護課課長は、「男性の体の調子は良くなっており、タクシー運転手という技能もあった。本人の『自立する』という意思表示があって自立がうまくいったモデルケース」「生活保護制度を活用して短期間のうちに自立できたモデルケースだった」などと発言した。この発言から、北九州市において就労指導を背景に保護辞退届を作成させて提出させ、その保護廃止届に基づいて保護を廃止する運用が一般的な運用として定着していたことがわかる。北九州市における人命を軽視した生活保護の運用は、昨年にも同市門司区において生活保護の開始申請をしようとした市民に対し、違法に申請の受付を拒否した後の餓死事件が発生していることからも明らかである。
第2 本件における被申告人の行為が人権侵害にあたること
1 本件では、生活保護行政を担う被申告人が、あたかも生活保護法27条1項に基づく適法な就労指導指示であるかのように装いながら、保護辞退届を被害者に書かせたうえ、この保護辞退届を根拠として被害者に対する生活保護を廃止している。
2 保護の辞退を理由とした廃止処分については、①保護の受給要件を満たしている被保護者に対して、保護の実施機関の側から辞退を勧めることは、保護受給権の侵害につながり許されないものであり、②被保護者が、保護受給が継続できることを認識したうえで、任意かつ真摯に辞退を申し出たといえること、③被保護者に経済的自立の目処(十分な収入が得られる確実な見込み)があり、保護廃止によって急迫した状況に陥ることがないこと、④上記の②、③の要件充足性を確認するため、保護制度上、被保護者に保障された諸権利等を正確に教示し、辞退理由や保護廃止後の生計維持方法等を聴取するなどして調査し、被保護者に誤解があれば正しい説明を行うなどの手順を踏むこと、という要件が満たされない限り無効であると解される。このような考え方は、広島高等裁判所2006年9月27日判決(賃金と社会保障1432号)及び京都地方裁判所2005年4月28日判決(判例時報1897号88頁)、東京都生活保護運用事例集(問8-46)及び2005年5月19日付京都市保健福祉局長通知「保護廃止時における適正な事務手続について(通知)」などにおいても、当然のこととして認められている。
3 しかし、生活保護の行政運用の現場では、これまでも保護辞退届が福祉事務所による違法な保護打ち切りを糊塗する便法として悪用されてきた。
本件においても、①保護を現に受給している被害者に対し、保護の実施機関の側から辞退を勧めた点、②被害者が、保護受給が継続できることを認識したうえで、任意かつ真摯に辞退を申し出たとは到底いえない点、③無職無収入で就職の目途もなかった被保護者に経済的自立の目処(十分な収入が得られる確実な見込み)はまったくなく、保護廃止によって直ちに急迫した状況に陥る蓋然性が極めて高かった点、④上記の②、③の要件充足性を確認するため、保護制度上、被保護者に保障された諸権利等を正確に教示し、辞退理由や保護廃止後の生計維持方法等を聴取するなどして調査し、被保護者に誤解があれば正しい説明を行うなどの手順が一切踏まれていない点の諸点において、保護廃止処分が違法であり許されないことは明らかである。
したがって、被害者に対して辞退届の提出を勧めてからその保護廃止に至るまでの被申告人の一連の行為は、被害者の保護受給権、ひいては生存権を侵害する人権侵害行為である。
なお、被申告人は、少なくとも広島高等裁判所の判決については、昨年10月26日に行われた北九州市の「平成18年度第4回保護担当課長会議」で判決を報じた新聞記事が配布されており、十分にその内容を認識していた。したがって、被申告人の人権侵害行為の悪質性はより顕著である。
第3 行政による周知徹底の必要性
北九州市では、福祉事務所の窓口を訪れた者に対し十分な情報が提供されないばかりか、誤った情報を提供し、生活保護の申請をさせず、あるいは違法に辞退届を提出させて保護を廃止するといった事態が蔓延し、本来制度を利用する権利のある多くの人々が排除されているものと思われる。3年連続の死者の発生という悲劇の背景には、このように歪んだ生活保護行政のあり方があると考えられるのである。
しかし、憲法25条が宣明する福祉国家の理念や、同条に基づく福祉立法をした立法者意思は、実際に利用権者が漏れなく給付を受け、法律によって創設された給付が飾り物に終わらないことを期待している。そもそも、利用権者が権利を行使しうるためには、制度の存在と具体的内容が周知徹底されていることが当然の前提である。この周知徹底がなされず、偶然の幸運で自らに権利があることを知った者のみが権利を行使しうるというのであれば、法治国家原理や実質的平等の原則に違反するだけでなく、社会保障制度ひいては生存権保障が画餅に帰してしまう。
したがって、行政機関は、生活保護を初めとする社会保障制度の存在と具体的内容を周知徹底する義務を負うのであり、具体的には、①一般的な広報を行う義務、②行政窓口での情報提供を行う義務、③対象者の個別の事情に応じた助言を行う義務が課されているものと解される。
こうした観点からすれば、利用権者が漏れなく制度を利用することができるよう、あらゆる手段を講じて生活保護制度上の権利や利用方法を広報するとともに、生活保護申請書を誰もが手に取れる場所に備え置くことは、今すぐにでもなされなければならないことである。
2 市民の助言請求権、行政機関の広報・情報提供義務明文化の必要性
ところで、ドイツでは、1950年代から行政機関の助言義務等を認める判例が蓄積され、これが制定法として結実し、1975年に成立した社会法典総則(13~15条)において、社会保障給付に関する市民の権利としての助言請求権、給付主体の広報義務、情報提供義務が明確に規定されるに至っている(社会法典総則13条~15条)。
日本では、「広報、周知徹底は国の果たすべき責務であり、当然しなければならないことに属する」が法的義務であるとは言えないとした大阪高裁1993年10月5日判決や、窓口職員の教示義務違反を認めた大阪高裁2005年6月30日判決があるが、ドイツに比して未だ裁判例の蓄積は十分であるとは言えない。
そこで、上記のような違法な窓口規制の実態を是正し、生存権保障を実質化するため、解釈の余地がないよう、全国に先駆けて北九州市において、行政に対する助言請求権、行政の広報義務、情報提供義務を明文においた条例を制定することが求められている。
3 第三者機関(福祉オンブズマン)設置の必要性
北九州市の保護行政が抱える問題を解決するためには、生活保護制度を利用しようとする者や現に利用している者などのあらゆる苦情や相談について対応する第三者機関を設置することが必要不可欠である。2000年3月に福祉オンブズマン条例を制定した東京都大田区の先例などが参考になるものと思われる。
求められる第三者機関は、社会保障に深い洞察を有する学識経験者や弁護士等によって構成され、行政機関と組織的に独立したものであるべきである。とりわけ、その具体的人選は重要であり、北九州市の従前の保護行政に対して明確に批判的な立場をとっていた人を積極的に任用することが求められる。
また、当該機関は、独自の調査権を持つとともに行政に対する勧告等の意見を表明する権限を有し、行政はその意見を尊重するものでなければならない。
第4 結語
北九州市においては、2005年と2006年にも生活保護が認められなかった男性が死亡する事件が起き、本件は3年連続の生活保護をめぐる死亡事案である。同市において、こうした死亡事件が相次ぐ背景には、「闇の北九州方式」と呼ばれる、徹底した保護費削減策(いわゆる「適正化」政策)がある。現に、保護の申請率(生活保護に関する相談件数に対する申請件数の割合)は、全国平均30.6%であるのに対し、北九州市は15.8%に過ぎない(平成17年度)。また、格差と貧困の拡大に伴い、全国的に保護率は増加傾向にあるのに対し、北九州市のみが逓減傾向にあって、その特異性は際だっている。
そして、本文中においても指摘したとおり、本件が発覚された当初(本年7月11日)、同市の三崎保護課課長は、「(本件は)自立がうまくいったモデルケースである」という驚くべきコメントをした。その後、マスメディアや同市生活保護行政検証委員会などで厳しい批判を受けたにもかかわらず、同市は、「本件の取り扱いに誤りはなかった」という基本姿勢を一向に改めることがないばかりか、同年8月2日には、「今回のように稼動(注:原文ノママ)年齢層にあって、本人の真意な意志による保護の辞退届の提出がなされた場合、廃止を前提とした取り扱いは従前どおりである」との通知まで発している。
痛ましい事件の発生を繰り返しながら、このように全く無反省な態度を貫く同市の姿勢は厳しく批判されなければならない。このままでは、同市において、早晩、さらなる「保護行政の犠牲者」が発生することが必至である。同市の保護行政が抱える病根は極めて根深い。
また、事は北九州市だけの問題に止まらない。旧厚生省は、1967年から1997年までの31年間のほとんどの期間、北九州市に出向者を幹部職員として派遣し、同市を「適正化」政策の実験場としてきた。同市は、厚生労働省にとって「保護行政の優等生」なのであり、同市の行き過ぎた「適正化」が是正されることなく放置されることとなれば、日本全国で本件のような悲劇が続発することも決して杞憂とは言えない。
そこで、申告人は、二度と本件のような痛ましい事件が起こることのないよう、御庁に対し、本申告書記載のとおり、人権侵犯救済の申告をするものである。